mokomoko

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2019/03/11

ザ・植物の教え!


夏にもブログでご紹介させていただいた、医療の世界とアートを結ぶ、スーパー・スーパーマンのような稲葉俊郎さんと、とってもかっこよい古来種野菜の流通のお仕事をされている高橋一也さんのトークイベントへ行ってきました。


先月は、アップダウンがなかなか大変で、たくさんの時間、アトリエで過ごしました。
漠然な不安が沢山で色々考えてました。

そんなタイミングで、友達と話をしたり、良い本を読むことができたり、子どもがヒントくれたり。稲葉さんのお話が聞くことができたりしています。

稲葉さんが、一つの全体の生命として命は全て繋がっているとおっしゃる通り、身近な自分の内側から起きる事も、同じ時をして色々とつながってる。
一瞬一瞬が必然的で、全てに意味があると思う。



先週のトークは、テーブルにすごくカッコ良い野菜達が並んでいました。


“古来種野菜”という野菜です。名前の通り、昔から継がれた種で作られた野菜。
名前からしてかっこよいし、姿もものすごく凛々しい。

昔から大切に継がれた種。それを守る大変さ、その貴重さ大切さ。


今生きてる私たちも同じで、先祖たちが繋いでくれた奇跡だと、それを忘れてはいけないと稲葉さんは始めにお話しされました。


色々、あらためて見直さないといけない事がやまもり。

どうしても、形や大きさで都合よく作らなければならない野菜。スーパーにキレイに順番通り並んでる。


病気になったら薬のんで治せばいいじゃん、切ったりはったりなだけの医療、。


故障したらまたすぐに買い換えたらいいや。安くて大量に物が売られてる。


なんだか、本当にライトな感じになってる事が多い。ライトすぎて、中身がすかすか。


電車にのれば不要な文字だらけな広告ばっかり。視覚的なノイズ。大量な物もノイズ。どこかバーチャルみたい。

そしてそれに何の疑問も持たない人が大半な現実世界。オーマイゴッド!!!


奇跡で生かされてる私たちの今をみて、繋いでくれたご先祖さま泣くと思う。


ふと、しっかり立ちどまって考える時間が必要なんじゃないかな。


植物はたくさん教えてくれる。


無機物、水、二酸化炭素から自分で生命してる!!これって改めてすごい、すごすぎる。


それをいただく、半自然的な動物。


だけど、稲葉さんは動物にも植物的な部分が多く内側で働いてるっていってた。


そこをちゃんと意識して感じることが大事だ。“ 見えないものに耳をすます ”


そしたら、街に溢れかえるライト群の軽さがよくわかる。

古来種野菜の種を守るように、繋げるべきものに力をいれる。


不要であるものはなくす!


みんなで農業やるのも良いと思う。無農薬で不揃いの野菜ばっかりがいい。


実際に、古来種野菜の色々をワンプレートで頂きました。


なんて、うまい!!!


味付けは塩少しと味噌のみ。
そのものの味が濃く、密度がやたらすごい。自分の中の植物的な臓器が反応して、共鳴してたわあ。。庭いじりしてるあの感じ、土のいいにおいのあの感じ。忘れかけてる何かがカムバックしてきてくれる感じ。


良いものって何でもしっかりとした重力を感じる。



昨日は、たくさん雨が降った。あれから8年が経った。


今日は畑はないけど、庭で植物に触れて過ごしたいです。

色んなこと勉強して、ちゃんと行動できる人になりたいなあと強く思います。



稲葉俊郎さんの本もどれもが素晴らしいです。超おすすめしたいです!

2019/03/09

みんなが、アーティストであってほしい

音と商店街のお祭りに出かけたら明日だった。。
お祭りのわりになんもないお祭りだねーと思ったら明日だった。。。

ドジ・オブザチャンピオン 殿堂入り、ずっと。、、すまん音よ。


“世界のビジネスリーダーがいまアートから学んでいること”という本を読みました。

アートコレクターでも有名な笹川直子さんがご紹介されていた本で、読んでみたい一冊でした。

面白かったです。

アーティストの一員として、大変勇気付けられた一冊でした。

タイトルの通り、世界ではアーティストの重要性が再確認されているそう。
企業とアートがタッグを組めばすごくよい相乗効果が起きるそう。

きっとそれはもっともっと、社会が気づいてくれてくんじゃないかと思うと、嬉しい。

アーティストの生み出してるものは(絵描きもミュージシャンもあらゆるアート)は、作品としての物質だけでなく、ただの絵空事でもなく自己満足でもなく、生きていて感じてるリアルそのものな事にもっと沢山の人に気がついてほしい。

ちゃんと向き合ってほしい。

ちゃんと話を聞いてほしい。

時間をもてあそぶ暇人変人のお遊びなんかじゃないと本当は叫びたいところ。

本には、実際にアーティストの感性の大切さがたくさん書かれていた。

大昔に宗教が、文字が読める学者たちだけの独断的な解釈だけで大衆に広まったというのを聞いた事がある。
だから、すごく窮屈な解釈になってしまったとかしないとか。
もし、学者だけでなく、色々な角度から物事を観察するアーティストが加わっていたら世界の歴史はまるで違ってたんじゃないかなと思いました。

人は見える物だけに囚われすぎてる気がします。
子どもは、見えないものに敏感で想像力も無限大。

幼児教育は素晴らしいのに、小学生になるとみんな同じ箱に入って同じ事を同じように学ぶ。

数学を、方程式を学ぶ。
数学の先生は一つの答えだけに丸をつける。

数は人が作ったんじゃない、そこにあったものをあとから人が見つけただけのもの。あたかも人が先。人が世界の全てを知ってるかのように。

私たちは何も知らないのに。

1+1は2だけじゃないと思うし、
X=∞だと思う。

答えが無限だったのに、一つだけにされてしまい、それが正しいとされてしまう。

小さい頃、イチゴをみて、なんでこれはイチゴなんだろ?本当にイチゴはイチゴなのかな。イチゴイチゴイチゴ…と頭のなかでグルグルになって迷子になった事がありました。

ハテナが山のようにあったけど、母親がいつでも答えは一つでないことを見せてくれてたと思います。

いまでもよく覚えてるのが、ホットケーキを焼くときにいつも丸だけでなく、くまの形や、うさぎや色々な動物に焼いてくれました。
ホットケーキが丸いだけでなく、ホットケーキがくまで、うさぎ。
くまもうさぎも、ホットケーキ。

色々な物を拾ってきては、(当時は粗大ゴミは普通に捨てられてた)色々な色にペイントしてたりしました。

ゴミ捨て場を“宝の山”だといってました。
ゴミは宝でもあって、宝はゴミでもある。

多分、母は何も意識せずと普通にこれをしてました。(今もなお)

だから私は母に救われたと思ってます。

アーティストは限られた一部の
人でなく、全ての人がそうであるべきと思います。

分かりやすくジャンル化された世界だけど、みんなが得意分野で、プラス創造的になったら最強、世界がものすごいワンダーになれると思いました。

一度、子どもに大人みんなが小学校してもらったらいいかもしれない。
と、思いました。

世界がもっともっとクリエイティブで溢れますように、祈り!(特に日本よ!もっと気合いいれてこうぜー!)